転職者の声

セカンド・フィフティーズ  Eさん(50才)

Eさん 50才 管理マネージャー 設備事業会社

ある日、日経新聞の夕刊コラムを読んでいると
セカンド・フィフティーズという言葉が目に飛び込んできた。

人生を最初の50年、あとの50年とふたつに分け、
最初の50年で培った知識・経験を次の豊かな50年作りに
生かすという欧米の考え方を紹介したものである。

なるほどそういう考え方もあるのだと、私の前に新しい地平が
広がる思いがした。
同じ会社で定年を迎えることと同列で、50歳になってから新たな
環境で働き始めるということが、私の中で急に現実味を帯びてきた
瞬間であった。

当時私は小さな商社で財務担当執行役員の職位にあった。

社内では限りなく経営者に近い立場におり、待遇面でも
文句のない立場にあった。
ただファミリー企業であって、これ以上、上に行きようがない
ことによる閉塞感を、強く抱いてはいた。
そのころ経営者交代することになり、私にとってこの企業での
役割を終える節目が来たと思うようになっていた。

それでは辞めてどうするかということだが、
その点に関しては、私は非常に楽観的であった。

交友関係が割合に広く、共に起業しようという誘いもあれば、
会社経営を任せたいという話もあった。
従って、辞めてどうにかなるだろうと思い、50歳にして
退職を決意した。

さて、共に起業しようという話であるが、実際に活動に
とりかかるまでに6ヶ月の猶予があり、海外に出かけたり、
国内旅行をしたりで、のんびりと時間を使っていた。

そこにサブプライム・ローン破綻による急激な経済環境の悪化
という状況が発生し、起業するときに当て込んでいた顧客の業績も
一気に悪化、当初計画を抜本から見直すことになる。

会社経営を任せたいという話も、どうも私が本来やりたい仕事ではない。
そこで、遅ればせながら就職活動を始めることとした。

まずは前職で付き合いのあった求人会社に登録をしたところ、
すぐに紹介があり、1次面接、2次面接、社長面接へと進んでいった。
そして社長と会食を共にする機会も得た。

私の希望するこじんまりした会社で、経営に近い立場での
仕事であったので、半ばこの会社でもいいかな、と思い始めて
いたのだが、実際に社長と酒席を共にしてみると、どうも
感覚的に合わない部分がある。

先方の社長も感じるところは同じだったようで、
結局この話は流れることとなる。

その後、2社ほぼ同時に面接を進め、いずれも即社長面接、
即内定という状態ではあったが、自分の中でその会社で働くという
イメージができず2社とも流すこととする。

一方、是非行きたいと思っていた横浜の外資系企業では、
英語による最終面接で落とされることとなる。

実はその頃、昔からの知り合いから仕事を手伝ってくれとの
誘いをもらっていたので最終的にはそちらで仕事をしようと考えていた。

ところがインターネットで求人情報を見ていたところ、まさしく
私の希望する事業、業務内容の仕事があり、応募したのが
北田さんとの出会いであった。

他の人材紹介会社のコンサルタントと大きく違い、頭と体を使って
真っ当に仕事をしているというのが私の北田さんに対する印象である。
本音レベルで付き合い、個々のケースに最適解を導き出す人だと感じる。

その北田さんのなすがままに身を委ねていたら、あれよあれよと
いう間に希望する先で採用が決まっていた。

こうして私のセカンド・フィフティーズは始まっていく。

転職活動を通して色々な企業、色々な人と触れ合うことができて
私は非常に幸運だったと思う。
その中で、北田さんと出会えたことは私にとって大きな財産になった。
この紙面を借りて改めて御礼を述べたい。

コンサルタントのコメント

「もう少し年齢が若ければ・・・。2~3歳若ければ・・・。」

結果的に不採用になったとしても、Eさんを面接した上で
決められたら良いと思います。

そこまで言うなら・・・。

ということで、急遽、その日の内に社長との面接となり、
とんとん拍子に進んでいった。もちろん、対抗馬は3名
いたらしいけれど、Eさんが採用となった。

私がそこまで言えた理由は何か?

決して肩を張らず、自分を大きく見せようとせず、
私の話をじっくり聞いて、求人案件について冷静に考え、
考えを話す・・・。
そんな姿に、しっかりと前職で体を張ってやってきたという
自信を感じたと言うのが、理由かな?!

「入社したら、この程度しかできないのか?と思われるかも?」
と、Eさん。

「実際の現場を見たら、がっかりされちゃうのではないかと心配です。」
と、社長さん。

社長もEさんも、今後ともよろしくお願いします。[北田]

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